2016-05-23

中学における学び

僕は音楽祭プロデューサー、ギタリスト、エデュケーターとして活動していますが、今回は三番目に関連して「学び」について考えてみたいと思います。

多くの中高生と話してきた中で一番よく出てきたのが「なぜ勉強しないといけないのか」という言葉。本質的には、どんな人生を歩もうが勉強はついてまわるのですが、ここでは「中等教育に対する疑問」のことを指します。

僕自身も中高生のときには同じような疑問を持ち、結局明確な答えが得られないまま、大学に進学しました。「勉強する意味」は中学生のときに意識するようになりましたが、高校生や浪人生のときは「世界と人生」というスケールの大きいテーマについて考えることが多くなったように思います。

こういった疑問に対する答えは決して一つではなく、人それぞれ違って当然です。むしろ、答えを見つけることよりも、「考えること」そのものが大事ではないかと思います。自分一人では限界があると思ったら、誰かと議論してみる、本を読んでみる、旅をして新しい世界を知る、といったことも必要でしょう。それがヒントとなり、さらに考えることで次の行動が生まれる。人生はその繰り返しなのかもしれません。

以下は、現時点での僕の考えです。テーマは「中学における学び」。これをさらに発展させたものが「高校における学び」と考えても良いと思っています。
《世界と人生について考えるための基礎力》

国語(日本語)では「読解力」「論理的思考力」「表現力」を身につけることができる。これは、英語、数学、理科、社会を学ぶ上で大前提となる(教科書を読む、問題の意図を読み解く、結論に至るまでのプロセスを理解する、文章を作成する、など)。

数学では「多角的思考力」「論理的思考力」「説明力」を身につけることができる。国語力により問題の意図を読み解き、どんな結論を導けば良いのか判断する。次に、その結論を導くにはどんな方法を選択すれば良いのか考える(多角的思考力)。最後に、結論に至るまでのプロセスを矛盾のないように組み立てる(論理的思考力)。それが本当に正しいかどうかは、人に説明して納得してもらえるかどうかで確認できる(説明力)。

国語と数学で身につけられるのは同じような能力かもしれないが、大きく異なるのは、国語では「日本語による思考力」、数学では「数式や図形による思考力」が鍛えられるということ。国語は「日本語」という枠があるが、数学は時代を超えて世界で共有されている概念を扱う。

これらの能力を習得して初めて理科と社会の膨大な知識やデータに対して分析と考察が可能になる。理科は「自然の仕組みについて考える機会」、社会は「人間と社会について考える機会」と言える。

英語を学ぶことで言語能力を向上させることができる。これは「世界中の人たちとの意思疎通や英語による情報収集が可能になる」という意味(日常会話、ビジネス会話、研究における議論、英語文献の読み込み、インターネットによる情報収集、など)。

《感性・表現力・身体能力・生活能力》

音楽と美術によって、感性が研ぎ澄まされ、かつ、言語の枠を超えて表現の幅を広げることができる。体育では運動をすることで心身の成長や身体に対する理解を促進。技術家庭では生活に必要な基本的な知識や技術を習得する。

《宿題の活用》

英単語を覚えるときは必ず声に出しながら書く。その単語を使った例文も確認する(このときも必ず一度は声に出して読み上げる)。数学の計算と基本問題は「速く、確実に」できるように量をこなす(ドリルを反復)。漢字は、教科書を読んでいて使い方が分からないものが出てきたら、すぐ辞書を引いて確認しノートに記録する、かつ、読み書きの練習をする。覚えた漢字を使って生活記録を書く。その際、読み手のことを考えて文章を作成する(伝えたいことを明確にする)。ニュースについて思ったことを書くのも良い。以上のことを毎日続けると、計算力・語彙力・表現力を強化することができる。