僕は大学に入学するまで読書の習慣がありませんでした。
小学生の頃は、ドリトル先生シリーズ、ファーブル昆虫記、偉人の伝記をたまに読む程度。中学生になるとシャーロック・ホームズに熱中したものの、それ以外には興味を示さず。高校時代は夏休みに課題図書が出されましたが、何を読んだのかさっぱり覚えていません。そのせいなのか、定期テストや入学試験としての国語は常に足手まとい状態。抽象的で長い文章を読むのがストレスだったことだけは記憶に残っています。
浪人時代に現代文と小論文の講座を受けたとき、読解や文章表現に対する考え方が少し変わったように思います。しかし、読書にはほとんど取り組まず、そのまま大学へ。
大学一年目の春。ここで転機が訪れました。今まで読書をしようと思わなかった自分が、自ら本を選んで読むようになったのです。講義以外の時間を有効に使うための合理的な行動だったのかもしれませんが、一番の理由は入学時に味わった「悔しさ」ではないかと思います。
友人たちと議論をしたとき、自分の知識量の少なさや考えの浅さを痛感し、「このままではいけない」と強く思ったことを覚えています。自分は今まで受験勉強ばかりで世界については何も学んでこなかった、つまり、自分のことばかりでまわりが見えていなかった。そのことに気づいた瞬間でした。
このときから、自分から動いていろいろな世界を見たいと思うように。大学の講義だけでなく、読書、サークル、アルバイト、旅、社会人との交流、音楽祭プロデュース、など、やりたいと思ったことは全て実行。この経験によって、自分の中に様々な視点や考え方が生まれ、日々面白がりながら生きるようになりました。
読書の内容については、大学時代は主に新書や専門書、社会人になってからはそれらにビジネス書が加わるのですが、小説だけはどうしても量が増えていかないのが悩みです。村山由佳の作品に傾倒した時期もありますが、今はあまり興味がありません。
ある教え子から「三島由紀夫は読んだ方が良い」と言われましたが、重い内容がハードルとなり、なかなか手が出せず。「まずは潮騒から入るべし」ということだったので、とりあえず読んでみることにしました。結果的には、三島ならではの知性溢れる文章と格闘しながらも、「心底から面白いと思える作品に出逢えて良かった」というのが正直な思いです。
他の教え子たちからもいくつか作品を教えてもらい、一通り目を通してみたところ、僕が今読みたいと思うものはどうやら「時間をかけてじっくり味わえる(格闘できる)、含蓄ある表現が満載の作品」のようです。
今は、「どくとるマンボウ航海記(北杜夫)」と「ふらんす物語(永井荷風)」に取り組んでいるところ。その後は「恋の都(三島由紀夫)」に移行する予定です。また、さらなる挑戦として、英語で文学を読み、新たな世界を旅してみたいと思っています。