興味深い国の一つであるシンガポール。その民族構成は、中華系74.3%、マレー系13.4%、インド系9.1%、その他3.2%となっており、文化的背景の異なる人々がどのように暮らしているのか、いつも気になっています。政治については賛否両論あるかと思いますが、資源のない小さな国が存続するためにはある程度やむを得ないのかもしれません。
僕自身は、大学時代に国際交流イベントをプロデュースしたことがきっかけとなり、多文化共生について考えるようになりました。最近は、海外旅行を含め、可能な限り多民族及び多国籍な環境に身を置くようにしています(プロデューサーとして参加している安曇野国際音楽フェスティバルもその一環です)。
今夏、「国とは何か」というテーマを掲げ、シンガポールを再訪しました。歴史や運営システムを学んだ後に街を歩いてみると、以前とはまた違う景色が見えてきます。「イギリスによる植民地化」「第二次世界大戦における旧日本軍の侵攻」「マレーシアからの分離独立及び経済成長優先の国家運営」という時代を経て、このユニークな国は先進国の仲間入りを果たしました。
昨年、建国の父であるリー・クアンユー元首相が逝去したということで、今回の旅はその追悼の意味も含まれています。統治手法については批判もありますが、まずは国民が生きていかねばならないということを考えれば、彼が建国時に掲げた行動指針とその成果は十分評価できるものではないかと僕は思っています。
現在も資源がないという状況に変わりはないので、他国との関係を考慮した上で人々が暮らしやすい環境(経済的安定と安全保障)を維持することが最重要課題と言えるでしょう。リー・シェンロン首相(リー・クアンユー氏の長男)による舵取りと国民の選択がどのような未来を創り出すのか、今後の動向が注目されます。
一方で、日本はどこに向かっているのか。シンガポールから帰国する途中、この問いについて考えていました。今は、テクノロジーの発展によりあらゆるものが目まぐるしく変化しています。これがさらに進めば、国と民間の間にある境界が曖昧になるだけでなく、いずれ「日本」という概念さえも大きく変わってしまうのかもしれません。
今回の旅で、僕はビジョンを描きました。それは「多様性を許容できる日本」です。幼い頃から過剰な同調圧力に対して強く違和感を抱いてきた者としては、この国はまだまだ生きづらさがあります。大きく変化する時代であることを踏まえ、今こそ新しいフェーズに進む絶好のタイミングではないでしょうか。